どんな困難が訪れても、アイコクアルファは永遠に続く。

本社部門 後藤洋一

昭和33年3月21日入団※(入社)。本社部門、前専務取締役。
アイコクアルファで語り継がれる、アカシヤの木やボール盤導入のエピソード。そのエピソードを体験している数少ない社員のひとり。会社の存続、発展に繋がったこの二つの出来事には「会社は従業員のために、従業員は会社のために」というパートナーの関係が大きな鍵となった。

※入団:仲間として一緒にやっていく「チームの一員」になるという考えから、入社と言わず、あえて「入団」と呼んでいる。

従業員が力をあわせて会社の危機を乗り越えてきた。

1958年、3月に入団した後藤はベテラン従業員とともに寮生活をしていた。入団翌年に伊勢湾台風は起こった。「寮と工場との間にアカシヤの木があり、それが暴風で倒れそうになったので、寮生が次々にその木を支えにいったんです」。恐怖の中のわずかな記憶を辿る。「土曜日の夜台風が来て、日曜日はどこからかみんなが集まって必死で水を出したり荒れた工場を整理したりしていたように思います。そして月曜日にはしっかりと営業していたんです」。誰からの命令でもなく、会社の復旧にと自然とみんなが動いた。日曜日の作業が功を奏し、ほとんどの企業が営業をストップせざるを得ない中、アイコクアルファは通常通り営業。「お客様からは大変喜ばれ、会社への信頼も深まったようです」。

またこの頃、アイコクアルファは全国の自転車部品生産の6割を占めていたが、時勢からオートバイ部品の製作に乗り換える時期が来ていた。「需要が増えて行く中、どうしても自転車部品を作る設備では対応が難しかったんです。会社にはお金がないことをみんな分かっていました。そこで、“よし、自分たちでお金を出し合って新しいボール盤を買おう!”という呼びかけがどこからともなく湧き上がり半数以上の人が賞与を寄付したんですよ」。

後藤の入団当時から、従業員は会社のために一生懸命になれるという姿があった。ここに至るまでに会社と従業員の間に何があったのか。「今から考えると、私が入団する以前の事が大きく影響しているんですね」。

従業員がいるから会社が成り立っている。 

後藤は入団前の“語り継がれるエピソード”を語った。

1954年、アイコクアルファの重要な取引先企業が倒産した。アイコクアルファをはじめ、各社が集まる債権者会議の中で、各事業者からその取引先企業の経営陣がなじられる場面があった。「そこで当時の弊社社長が言ったんです。“倒産するのも悪いが、この会社を取引先に選んだのは私たちだ。私たちにも責任がある”」この一言で混乱が収まった。

「会社もお客様も対等だという意識があったんですね」。

その取引先の倒産により売掛金が焦げ付き、アイコクアルファにも倒産の危機が訪れた。従業員の多くは “給料がなくてもやります”と残った。この時、「従業員がいてはじめで会社が成り立つのだ。本当の意味で従業員と共に歩んで行こう」と社長は決意した。その翌年、会社がとった措置は従業員への経理の公開。その行動は“アイコクアルファはみんなの会社”という経営者の思いの現れだった。そしてありとあらゆる情報を従業員に公開しはじめたのだ。

「そういった経緯もあって私が入団した頃には、会社の姿勢に従業員も信頼し“ついて行こう!”という意識が芽生えていたんでしょう。だから台風にしてもボール盤にしても従業員自ら動くことが出来た」。それだけではない。「それからどんどん会社は従業員のための制度も多く作って行きましたね。寮や食堂、お風呂などの住みやすい環境を整えてくれるとか、土曜日は午後3時までの営業にするとか。嬉しいことばかりでした」。

会社への信頼と愛情を抱くようになった後藤は、気がつけば55年の時をここで過ごしていた。「あとはもうこの経営を伝承していくことだけ。来年には去るんです(笑)」。往年を懐かしみながら、後藤は実に清々しく言う。「もう経営の基盤は出来ています。会社だけでなく、従業員の中にも。だからどんな危機が訪れようと、絶対に大丈夫。アイコクアルファは続いていきます」。